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Dog photography and Essay

Dog photography and Essay

始皇帝と長城


始皇帝と万里の長城


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北京から八達嶺の万里の長城に行くときに長城の南にある、
居庸関を通るが、この一帯の谷間の濃いみどりは昔から、
「居庸畳翠」として燕京八景の一つに数えられている。


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そして明朝滅亡の口火を切った農民蜂起軍、李自成の北京入城も、
この居庸関からとの事。居庸畳翠という碑は、
秦の始皇帝が万里の長城を造るのにかりだした人夫(庸)を、
ここに居住させたことにより居庸という地名になった。


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宇宙からも見える文化遺産の万里長城は、
中国歴代王朝が北方遊牧民族の侵入を防ぐ為に、
築いた巨大な城壁である。


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秦の時代から明の時代に至るまで1300年の長きに渡り、
歴代王朝が連綿と築いてきた。その長さは5600キロに及ぶ。


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11年前香港で航空チケットを購入し北京まで来て、
西直門のバスターミナルまで行き、そこから八達嶺長城まで、
行ったが、今回は万里の長城でも居庸関長城へ来た。


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ここは居庸関長城の関所跡で切り立った峰をぬって、
造営された難攻不落の九塞のひとつ(紀元前5世紀)
画像はその頃の兵士の像と武器のモニュメント。



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万里の長城は「世界七奇跡」の一つであり、
中国へ観光に来る人の多くはここへ来る。

万里の長城は紀元前7世紀の春秋時代から約2000年以上の、
年月に渡り造成を重ねてきた。
一体どれだけ多くの人がこの大偉業に関わったのか?


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11年前この万里の長城へ来たときは、
八達嶺というポピュラーさも手伝い結構何の抵抗もなく、
石段を登る事が出来た。しかし、50代半ばという事と、
運動不足も手伝い、長い距離は登る事が出来なかった。



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やはり旅行は若い間にしておこうと思ったりもしたが、
そう思っても身体は衰えるばかりで若返る事はない。


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日本でこのような光景が有るのか無いのか?
ちょっと定かではありませんが、ここ中国では観光地に行けば、
この鍵を掛ける習慣がある。

これは主に愛し合う二人の恋が結ばれますようにと、
迷信をしゃれにしたもの。でも、二人で納得し、
掛けるのなら良いですが、何となく願掛けのような思いで、
女性から強引に鍵を掛けられると気が重いですね。



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何となく、ふと思ったのですが、鍵を掛けて
「あなたはもう私の心に入れない」と願掛ける女性がいたら、
これこそ高度なしゃれですね。



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居庸関長城の石段を登り始める所に売店があった。
多くのみやげ物アイテムが所狭しと並べてあった。
そしてこの辺りはまだ石段ではなく緩い坂道に、
大きな石が敷き詰めてあった。


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少しだけ登ったところより画像に収めた。
そして上を見上げると険しい急な坂道に石が積まれていたが、
こんな大きな重たい石を良く積み上げたものだと思ったり、
一体何人でこの石を並べたのかとも思った。


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私は上海の友人に携帯メールを送った。
「昨夜7時に上海を出て今10時、
11年ぶりに万里の長城の上に立った」


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そして中国の友人から「中国では万里の長城に、
立たなければ一人前の男ではない。
貴方は今一人前の男だ!オメデトウ」


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皆が疲れた表情で登って来る。
青年の頃、幾つもの中央アルプスの山を制覇した事が有る。
その時になぜ山に登るとの問いに、そこに山があるからと、
書いてあった本を見たことがある。

山と石段を一緒にしてはならないが、
登るときの辛さは登った人にしか分からない。



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しかし登り切った後ほとばしる汗を拭きながら、
大自然の光景をこの目にしたとき、登ってきて良かったと思う。
あたかもそれは人生のようでもある。
生きるという事は重き荷物を背負うて遠き道を行くが如し。


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私の場合は、タバコを止めてより既に4年、
その4年で12キロ肥えてしまった。荷物を背負わなくとも、
本当に背負ったような錯覚をも受けた。


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途中の窓から上を見上げこれから登る目的地を画像に収めた。
ここから一番ポピュラーな八達嶺までは12キロ以上ある。
アップダウンの12キロを歩く人も中にはあるのだろうが、
1時間半後には集合場所へ戻らなければならず、


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何より体力が持たないとも思いながら登りだした。
十段登って休みまた登る回数は増えた。

とりあえずの目標地点はクリアーした。
前を見るとまだ先へ進む人達の姿も多かったが、
私は始めの目標通りの場所へ来たので、
少し休んでより降りることにした。


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上に見える関所が居庸関である。この地名は、
秦の始皇帝が万里の長城を造るための人夫(庸yong1)を、
この付近に居住させた事により名前がついた。


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目標地点から降りてくる時に同じツアー客を画像に収めた。
「まだ登ってないのですか?」と聞くと、
「すでに登ってここで景色を見ていた」と
ニコニコしていた。


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一緒に降りようと言われたが、写真を撮りたかったので、
別行動した。やっと途中まで降りてきた。
登る時も大変だったが、降りる時は膝に体重がかかりもっと大変だった。
また一段一段の高さが40cmから45cmほどあり、
一般の階段より高さがあった。


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手すりがなければ、登る時も降りる時も大変で特にご老人は大変。
ちょっとした平坦な所で景色を見る人様々。
そしてちょっとした隙間から下の景色を画像に収めた。
途中までは緩やかでいきなり険しい坂だ。


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「万里の長城」の事を英語で「Great Wall」という。
「Great」を「偉大な」と訳し「Wall」を「壁」と訳すと、
何となくうなずける。中国語では
「万里長城wan4li3chang2cheng2」と読み方が違うが漢字は殆ど同じ。


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だから日本人が中国を訪れても筆談で通じるところが多いので、
中国へ行く前に中国語を学ぶ時間がないならば、
日本の漢字をもう一度勉強しておこう。私は忘れつつあります。

窓から居庸関を画像に収めさらに、後の窓へと移り、
今登って来たばかりの万里長城の上を再度画像に収めた。


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八達嶺長城では5頭の馬が横に並んでも平気と広い幅があるが、
この居庸関長城では上の方は3人がやっとという所も有るほど細い。
画像中心上に二つ重なっている見張り所のその上まで行ってきました。


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居庸関は中国の河北省にあり北京の北西55kmに位置し、
古来天下九関の一といわれ華北から蒙古に通ずる交通の要衝で、
元の時代には諸民族が頻繁に往来した関門。
この石碑に何と書いてあるのか?誰が書いたのか分からない?


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皆はここで記念写真を撮り、
その人達にこれは誰が書いたのか分かりますか?と、
聞いてみたが頭を横に振り「不知道」だけ。


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私も分からず画像にした。
そして人の切れ目を5分間ほどただただ待った。
後ろから観光客が多く歩いて来ていたので、
前方遠くに人が居たが撮影は今しかないと急いでシャッターを切った。



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東山西山と書かれているが、女坂と男坂という二方向の登る、
石段がある事をここへ降りてから売店の人に聞いて分かった。

女坂は緩い勾配で楽に登れるが、男坂は途中から急な勾配になり、
登るのに苦労するが登ったあとで、
男坂の上から見る景色は絶景と言う事だった。


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先に聞いていたら女坂へ行ったかも?
この居庸関長城の直ぐ横にまるで侵入者を拒むように、
河が廻らされていた。これは人口なのか自然で出来たのか?


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分からないがその河越しに隣の石段坂の画像を収めた。
売店が立ち並ぶ所から階段を登った所から馬神廟を見下ろした。


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居庸関雲台跡で元代1345年に建てられラマ教(チベット仏教)の、
白石塔が建っていたとの事であるが、
元末明初に破壊されてその台のみ残っていた。


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その記念碑を見て、今登ってきた男坂の方を向いて、
その全景を画像に収めた。
居庸関の関所の跡を画像に収め、右側は畳翠閣で中は翡翠などの、
工芸品のみやげ物屋さんになっていた。


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そして待ち合わせ場所に行ったら同じツアー客のイギリスや、
アメリカ人が先に待っていてお互いに写真撮影をしていた。
私に気付くと「ハーイ!ジャパニーズ」と声を掛けて下さった。
彼らはとにかく元気だ!


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「我登上了長城」とプレスされた記念メダル。
我登上了長城とは日本語読みでもお分かりになると思います。
万里の長城に登ったですが、中国語の発音をカタカナで書くと、
「ウォ ドォンシャンラ ツァンツォン」実際には舌を巻いて、
発音したりするとカタカナでは表現できない読み方になる。


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更に一声・二声・三声・四声と声調が変わってきます。
中国語初めての人も試して下さい。
「wo3 deng1shang4le chang2cheng2」
上は居庸関長城で私の目標だった。


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中国の清朝時代を模った帽子である。
男性が後ろに髪を長く伸ばし三つ編みにしていた。

中国でみるテレビの時代劇はこの清朝時代も多いが、
日本の武士の月代(さかやき)を剃るよりも広範囲に剃り、
後ろの髪のみ残して伸ばした独特の髪型ではあるが、
見慣れると結構様になっていると思ったりもした。


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子供が被る帽子である。
この帽子類は並べて売られている帽子類を、
私が画像に収めるために勝手に日よけ傘の上に置いては写し、
また置いては撮影したものである。


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蒙古の人が被る帽子を撮る前に店員に聞いたがここでは更新してない。
私はタバコを完全に止めて4年になる。
このような灰皿を撮っても致し方ないが置き物としては面白いと思った。


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撮影だけで結局何も買わなかった。
同じツアーの外国人は皆さんが国へ持って帰ると、
買っていたが旅行も最終日なら良いが初日ならば、
荷物になって仕方ないですよと言ってはみたものの買って行った。


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